張誌家

(ちょうしか)
元プロ野球選手(台湾)。ポジションは投手。台湾のプロ野球リーグのほか、日本ではパシフィック・リーグの西武ライオンズでプレイした。

2001年に開催された国際野球連盟(IBAF)主催の国際野球大会「IBAFワールドカップ」に台湾代表として出場し、3位決定戦において日本代表を5安打の完封に抑え、日本でも注目を集めた。その後、2002年に読売ジャイアンツ(巨人)と競合の末、西武ライオンズに入団。期待の右腕として、150kmを超えるストレートとカーブ・フォークボール・チェンジアップといった変化球を武器に、1年目から先発ローテンションに定着。シーズン途中からの参画だったにもかかわらず10勝を挙げ、チームのパシフィック・リーグ優勝に貢献した。2004年までの3年間在籍し、日本での通算成績は63試合に登板、26勝19敗1セーブ、奪三振352、防御率3.81だった。

また、2008年からは台湾のプロ野球チーム「La Newベアーズ」(現・楽天モンキーズ)に所属。台湾リーグでの登板も合わせたプロ通算成績は、91試合に登板、42勝34敗1セーブ、奪三振556。2009年に「放水問題」(日本で言う八百長疑惑)により、本人は容疑を否認したものの契約を解除され、事実上の引退となった。

日本で獲得した主なタイトルや栄誉は、連続イニング奪三振記録更新(28イニング)によるパ・リーグ連盟特別表彰(2002年)を始め、2004年6月の月間最優秀選手(MVP)、オールスターゲーム出場および優秀選手賞(2004年)などがある。

中国にて死去。死因は、心筋梗塞であった。43歳。すでに亡くなっているところを発見されたという。

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