(にしじまかつひこ)
弁護士。数々の冤罪事件において弁護を手掛けてきたことで有名。お茶の水合同法律事務所に所属。
福岡県福島市に生まれ、多くの弁護士や検事・裁判官を輩出してきた法曹養成の名門・中央大学の法学部を経て司法試験に合格、1965年に弁護士登録された。1年目より、1951年に山口県熊毛郡麻郷村(現・田布施町)の八海で発生した強盗殺人事件(通称「八海事件」)に携わったほか、1953年に徳島県徳島市で発生した強盗殺人事件で、初の死後再審としても注目を集めた「徳島ラジオ商殺人事件」や、1954年に静岡県島田市で発生した幼女誘拐殺人および死体遺棄事件で、被告人に対する死刑判決後に再審で無罪となった「島田事件」など、歴史に残る数々の冤罪事件に携わってきた。そのほかにも、「仁保事件」(1954年)、「波谷事件」(1977年)などの重大事件を担当し、いずれも無罪判決に導いている。
近年では、静岡県静岡市(旧・清水市)でみそ製造会社専務の一家4人が殺害された事件で強盗殺人などの罪に問われ死刑が確定したものの、静岡地方裁判所にて再審公判が続いている袴田巌さんの弁護団長として知られている。当事件では2004年より弁護団長を務め、肺の病気によって闘病生活を余儀なくされながらも、酸素吸入ボンベを付けた車椅子姿で裁判所に通うなど、再審開始を勝ち取るために尽力した。
弁護活動の一方で、日弁連常務理事、日弁連拘禁二法案対策本部事務局長、東京弁護士会常議員会議長、東京弁護士会副会長、法務省不服審査検討委員などの要職も歴任。
著書に、「世界に問われる日本の刑事司法」「死刑か無罪か – えん罪を考える」「袴田再審から死刑廃止へ」などがある。
東京都内にある病院にて死去。死因は、間質性肺炎であった。82歳。死去の事実は、6日後に袴田巌さんの弁護団が会見によって明らかにした。