丸山義行

(まるやまよしゆき)
サッカー審判員・指導者・元選手。国際審判員として、日本人で初めてFIFAワールドカップ(W杯)のジャッジを任されるなど、日本におけるサッカー審判員のパイオニア的存在として有名。

1956年、公益財団法人日本サッカー協会(Japan Football Association:JFA)の1級審判員となり、さらに1961年には、国際サッカー連盟(Fédération internationale de football association:FIFA)の国際審判員となった。1964年の東京オリンピックでは、線審(ラインズマン、現在の副審)を務めた上、1968年のメキシコオリンピックでは主審として活躍。1970年のW杯メキシコ大会では、日本人初の審判員として、ペルー・ブルガリア戦およびペルー・モロッコ戦の2試合で線審を担った。

そのほか、日本サッカーリーグ(Japan Soccer League:JSL)や日本代表国際Aマッチなどでも主審を担当。Jリーグ(日本プロサッカーリーグ)の規律委員長や、マッチコミッショナー委員、参与なども歴任した。さらに、サッカー指導者として、1975年からは母校である中央大学のサッカー部監督を務め、関東大学サッカーリーグ戦にて1978年に優勝、全日本大学サッカー選手権大会にて1980年・1992年の2度優勝といった功績を残している。

受賞歴に、国際サッカー連盟審判特別功労賞(1979年)など。2009年には、日本サッカー協会が日本におけるサッカーの発展に寄与した人物を表彰する「日本サッカー殿堂」入りも果たした。

死因は、老衰であった。92歳。死去の事実は、日本サッカー協会により亡くなった2日後に発表された。

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