赤堀政夫

(あかぼりまさお)
1954年(昭和29年)に静岡県島田市で発生した幼女誘拐殺人事件(通称:「島田事件」)において逮捕され、死刑確定後の再審請求により無罪となった人物として有名。

「島田事件」とは、静岡県島田市にある幼稚園で卒業記念の行事中、6歳女児が行方不明になり、数日後に近所の大井川沿いにある山林内で遺体となって発見されたというもの。2ヵ月半ほど経過したのち、被疑者の目撃情報などを基に、岐阜県稲葉郡鵜沼町(現在の各務原市)において静岡県警が重要参考人としてマークしていた赤堀氏を職務質問、その後身柄を拘束した。

赤堀氏は無罪を主張したものの、1958年に静岡地方裁判所は死刑を宣告。1960年には上告も棄却され、最高裁判所で死刑が確定した。その後、再審請求が繰り返され、4度目の再審請求でも静岡地方裁判所が一旦棄却。しかしながら即時抗告の申し立てにより東京高等裁判所が差し戻しを決定、再審が開始された。検察側は再び死刑を求刑したものの、1989年の再審判決公判にて、静岡地方裁判所が無罪判決を言い渡し、赤堀氏は34年8ヵ月ぶりに釈放された。

なお、釈放当時は健康状態が芳しくなく、入退院を繰り返すなど介護が必要な状況であったが、徐々に健康が回復し、平穏な暮らしを送るようになっていったという。また、死刑廃止運動などのイベントや集会に積極的に参加し、自ら意見を述べるなどの活動を展開した。2009年より導入されている裁判員制度については、法律に通じていない一般人に正確な判断はできないとして、自身が体験したような冤罪を防止する観点から反対の立場を取っていた。のちに、実際に裁判員の候補者に指名され、名古屋地方裁判所から裁判員手続きのための呼び出しがかかった際には、裁判所は信用できないとして高齢を理由に辞退した。

愛知県名古屋市にある介護施設にて死去。死因などの詳細は明らかにされていない。94歳。

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