津田恒美

(つだつねみ)
プロ野球選手(投手)。1982年、広島東洋カープにドラフト1位で入団、新人王を獲得するなど活躍した。当初は、「津田恒実」ではなく「津田恒美」の漢字で活動していた。

一時は血行障害に悩まされ、手術を行ったことなどにより成績が低迷したものの、その後、カムバック賞・最優秀救援投手・ファイアマン賞を獲得するなど復活を果たし、闘志をむき出しにした速球投手として、「炎のストッパー」と呼ばれた。

プロ10年間の通算成績は、286試合に登板、49勝(41敗)90セーブ、防御率3.31。

1990年頃より頭痛に悩まされ、検査したところ悪性の脳腫瘍であることが判明。闘病生活に入り、ほどなくして退団届を提出した。なお、退団の理由は、真の病名は伏せたまま「水頭症のため」とされていた。

一時は現役復帰に向けトレーニングを積むほど回復したものの、再び病状が悪化。入院中の病院にて亡くなった。脳腫瘍のため。32歳。

「もう一度、投げたかった:炎のストッパー津田恒美 最後の闘い」「最後のストライク 津田恒美と生きた2年3ヵ月」など、激動の人生を物語る関連書籍は多数。

タイトルとURLをコピーしました