逢沢英雄

(あいざわひでお)
政治家。元衆議院議員。同じく政治家・衆議院議員の逢沢一郎の父。所属政党は、自由民主党。旭日中綬章受章者。

1926年、岡山県御津郡(現在の岡山市北区)に生まれ、早稲田大学を卒業後、岡山商工会議所・副会頭や岡山青年会議所・理事長などを務める。その後1968年に参議院議員通常選挙に立候補するも、落選。1976年の衆議院議員総選挙に自民党公認で旧岡山1区より出馬、初当選を果たし、代議士としての道を歩み始める。以後、衆議院議員を通算で3期務めた。鈴木善幸内閣総理大臣(当時)の下、1981年には労働政務次官も務めている。

1983年の衆議院議員総選挙にて落選し、政界からの引退を表明。続く1986年の衆議院議員総選挙では、長男である逢沢一郎が地盤を引き継ぎ、初当選を果たしている。

死因は、間質性肺炎であった。90歳。

タイトルとURLをコピーしました