豊田泰光

(とよだやすみつ)
野球解説者・元プロ野球選手(内野手)。現役時代は西鉄ライオンズで主力として活躍したほか、国鉄スワローズ(現在の東京ヤクルトスワローズ)などでプレイした。

茨城県久慈郡に生まれ、県立水戸商業高等学校の3年生時に第34回全国高等学校野球選手権大会(1952年甲子園大会)に出場(2回戦敗退)。開会式では、全国から集まった選りすぐりのメンバーを代表し、選手宣誓という大役を担った。高校生No.1の遊撃手と評価されており、卒業時にはプロ野球チームを始め、全国の大学から誘いが殺到。最終的には西鉄ライオンズへの入団を決めた。

1年目よりレギュラーに定着。2年目にはチーム初のパシフィック・リーグ制覇に貢献するなど、中心選手として活躍した。1962年オフに、監督との対立もあって、国鉄スワローズ(のちのサンケイスワローズ、サンケイアトムズ、アトムズ、現在の東京ヤクルトスワローズ)にトレード。1969年のシーズンを最後に、現役を引退した。

引退後は、スポーツ新聞である「サンケイスポーツ」や、フジサンケイグループのAMラジオ放送である「ニッポン放送」などで解説者を務めたほか、近鉄バファローズなどでコーチも務めた。また、フジテレビ系列で放送され、夜のスポーツニュース番組として爆発的な人気を博していた「プロ野球ニュース」にも出演するなど、数々のメディアでも活躍した。ちなみに「プロ野球ニュース」は、地上波放送が終了したり、野球を知らないタレントや女性アナウンサーを起用したりしたフジテレビに対し、「フジテレビは野球を大切にしなくなった」との見解を持ったため、2001年に降板している。

現役選手時代の通算成績は、稼働17年で1,814試合に出場し、1,699安打、ホームラン263、打点888、盗塁215、打率2割7分7厘だった。

獲得した主なタイトルには、首位打者1回(1956年)、最多出塁数2回(1959年・1961年)など。そのほかの栄誉に、1953年の新人王を始め、日本シリーズ優秀選手賞、日本シリーズ首位打者賞、日本シリーズMVP、ベストナイン(合計6度の受賞を誇る)などがある。

出演したメディア番組は、上述した「プロ野球ニュース」を始め、「文化放送ホームランナイター」「ニッポン放送ショウアップナイター」「激生!スポーツTODAY」「豊田泰光・ウルトラサンデー」「豊田泰光・サンデースポーツファミリー」など、多数。

著書に、「プロ野球を殺すのはだれだ」「オレが許さん!波瀾万丈交友録」「チェンジアップ人生論」「豊田泰光 – 108の遺言」「まぐれと極意 – 勝負に勝つ上達のセオリー」などがある。

死因は、誤嚥性肺炎であった。81歳。

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