ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア

イタリア王位請求者。イタリアの辺境伯貴族であった家系であるサヴォイア家当主。1861年に成立し、1946年に共和制へと移行したイタリア王国において最後の国王であったウンベルト2世の息子(長男)として知られている。母は、ベルギー王女であったマリーア・ジョゼ・デル・ベルジョ。モデルであるマリナ・リコルフィ・ドーリアを妻に、ピエモンテ=ヴェネツィア公財団理事などを務めるエマヌエーレ・フィリベルトを息子に持つ。「イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ4世」「ナポリ公」など、イタリア国内でもさまざまな呼び名があるほか、日本での表記も「ヴィットーリオ・エマヌエーレ」「ヴィットリオ・エマヌエレ」さらには「ビットリオ・エマヌエレ」「ビットーリオ・エマヌエーレ」などの揺れがある。

1937年、イタリア南部の都市ナポリに生まれ、第二次世界大戦後のイタリア王国にて王制廃止が決定されたことに伴い、1946年、ウンベルト2世の息子として9歳にして国外追放の憂き目に遭う。憲法によりイタリア国内へ戻ることは禁止されていたものの、その後の憲法改正を受けて、2002年に56年ぶりの帰国を果たしたことでも話題となった。

イタリア王位・ナポリ公位のほかにも、父であるウンベルト2世よりさまざまな称号を継承しており、世界的にも名誉と伝統のある血筋を持つ大物の1人として認められている。とはいえ、亡命先であるスイスやフランスなどにおいて銃撃事件や非合法活動、イタリアの組織犯罪集団であるマフィアの犯罪事業などに関わっていた疑いがあり、警察に拘束・逮捕・収監されていた時期もあるため、私生活に問題の多い人物として見なされている一面もある。

スイスのジュネーヴにて死去。死因などの詳細情報は公表されていない。86歳。

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