篠塚建次郎

(しのづかけんじろう)
ラリードライバー。「シノケン」の愛称で親しまれ、三菱自動車工業株式会社の社員ドライバーとして長きに渡って活躍した。1997年には、日本人として初めてパリ・ダカール・ラリー(略称:パリダカ)にて総合優勝を果たしたドライバーとして世界的に有名。

東京都大田区に生まれ、東京都渋谷区に本拠を構える東海大学の卒業後に三菱自動車へ入社。メカニックやセールスマンを務める傍ら、ワークスドライバーとして日本各地で開催されていたラリー競技に出場。1986年からはパリダカにも参戦し、翌1987年には総合3位に入賞するなど好成績を残した。三菱パジェロを駆ることで広く知られ、上述のとおり1997年にはパリダカで日本人初の総合優勝(参戦12年目)。それに先立ち、1991年には世界ラリー選手権(WRC)において日本人として初めての優勝を果たしているほか、翌1992年にも優勝し、連覇を成し遂げている。

パリダカには2007年まで参戦。2008年からは、母校である東海大学のソーラーカーチームへ学生とともに参加。国際自動車連盟が公認しているソーラーカーラリー「サウス・アフリカン・ソーラー・チャレンジ」で総合優勝を果たすなど、長年に渡ってモータースポーツ界を先導し、日本におけるドライバーの第一人者として活躍した。2022年には、特定非営利活動法人日本自動車殿堂による日本自動車殿堂入りも果たしている。現役ラリードライバーとして殿堂入りするのは史上初めての快挙であった。

メディアにもたびたび出演し、「とんねるずのハンマープライス」「クイズ脳!ベルshow」などのバラエティ番組を始め、「男女7人夏物語」などのドラマ、「ゴールデンカレー」(エスビー食品株式会社)や「エンジンオイル・グランZ」(ENEOS株式会社)といったテレビCMなどで活躍。

著書に、「より熱く耐えて挑む」「楽しいアウトドア・クッキング」「篠塚建次郎無敵のNO.1テクニック」「篠塚建次郎のサバイバル流ドラテク専科」「風のように – パリ・ダカ13万キロ」「ラリーバカ一代」「砂漠の死闘」などがある。

長野県諏訪市にある病院にて死去。死因は、膵臓癌であった。75歳。

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