(さわいよしろう)
反公害記録家・企業内文学者。4大公害訴訟の一つ「四日市公害」の語り部として有名。また、東亜紡織株式会社(のちの株式会社トーア紡コーポレーション)では、演劇サークル・音楽サークル・映画サークル・文学サークルを結成するなど、企業内文学者としてサークル活動の中心的存在であった。なお、「澤井余志郎」(読み同じ)と表記されることも多い。
1928年、静岡県浜松市生まれ。浜松工業学校を卒業後、東亜紡織株式会社に入社。1954年に、様々な文化活動が反企業的行為と判断されて解雇通知を受け、その後は三重県四日市市の地区労事務所局員として勤務しながら、四日市ぜんそくなどの反公害運動に取り組むようになった。1968年には、「四日市公害を記録する会」を結成。1971年、「四日市公害と戦う市民兵の会」に参加。さらに2007年には、「四日市公害・市民運動記録集」を全4巻で編纂するなど、長きに渡って四日市ぜんそくにおける公害患者の支援活動に尽力してきた。
著書に、上述した「四日市公害・市民運動記録集」のほか、「紡績女子工員生活記録集」「くさい魚とぜんそくの証文 – 公害四日市の記録文集」など。
死因は、心不全であった。87歳。