ビリー・ポール

ソウル歌手(アメリカ)。フィラデルフィア・ソウルの第一人者として有名。

代表曲に、200万枚の売上を記録した1972年の作品「ミー・アンド・ミセスジョーンズ」(Me and Mrs.Jones)などがある。ちなみにこの曲は同年に発売されたアルバム「360 Degrees Of Billy Paul」からシングルカットされたものであり、アメリカの名高い音楽チャートであるビルボードにおいて3週連続で第1位を記録するなど大ヒットを記録。さらに、ザ・レコーディング・アカデミーが主催する世界的な権威を持つ音楽賞であるグラミー賞を翌1973年に獲得。1970年代のソウル・ミュージック・シーンを代表する1曲となった。以後、カバーするミュージシャンやアーティストが後を絶たず、その一部を紹介すると、ジョニー・マティス、ロニー・フォスター、モンク・モンゴメリー、カラベリ、サラ・ジェーン・モリス、ダリル・ホール&ジョン・オーツ、サン・シティ・ガールズ、エイミー・スチュワート、ジャッキー・ネイラー、ラッセル・ワトソン、マイケル・ブーブレ、タワー・オブ・パワー、ザ・スリー・ディグリーズ、ハロルド・サンディテン、トミー・ブレイズらがいる(あくまでほんの一部である)。

「ミー・アンド・ミセスジョーンズ」(Me and Mrs.Jones)以外の楽曲に、「レッツ・メイク・ア・ベイビー」(Let’s Make a Baby)、「アム・アイ・ブラック・イナフ・フォー・ユー?」(Am I Black Enough For You?)など。

「360 Degrees Of Billy Paul」以外の発表アルバムには、「Feelin’ Good at the Cadillac Club」(1968年)、「Going East」(1971年)、「Feelin’ Good at the Cadillac Club」(1973年)、「Live in Europe」(1974年)、「When Love Is New」(1975年)、「Only the Strong Survive」(1977年)、「Best of Billy Paul」(1980年)、「Wide Open」(1988年)などがある。

死因は、膵臓癌であった。81歳。

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