ディエゴ・マラドーナ

元サッカー選手(フォワード・ミッドフィルダー)・監督。20世紀のサッカー史上、トップレベルのスター選手。

歴代最年少の16歳でアルゼンチン代表に選出されて以来、FIFAワールドカップに1982年のスペイン大会から1994年のアメリカ大会まで4大会連続で出場。特に1986年のメキシコ大会ではチームの中心的存在として優勝を勝ち取り、大会のMVPにも選出された。同大会における「神の手」ゴールや「5人抜き」ドリブルはあまりにも有名。

クラブチームでは、AAアルヘンティノス・ジュニアーズ、ボカ・ジュニアーズ、FCバルセロナ、SSCナポリ、セビージャFC、ニューウェルズ・オールドボーイズといった各国のチームを渡り歩き、活躍した。

現役選手を引退した後は、いくつかのクラブチーム監督を歴任したほか、アルゼンチン代表の監督も務め、2010年のFIFAワールドカップ南アフリカ大会では南米予選を突破し、本大会に出場した(準々決勝にて敗退)。

選手時代から違法薬物の使用が指摘されることがしばしばあり、現役引退後もそれが原因と思われる入退院を繰り返すことがあった。しかしながら、一般人・サッカー選手・サッカー関係者など、世界中に信奉者が存在し、母国アルゼンチンでは彼を「神の子」と崇拝する宗教まであるほど。

死因は、心臓発作(心不全)であった。60歳。硬膜下血腫の手術を受け、自宅療養中に心臓発作を起こして亡くなってしまったという。アルゼンチンでは国民のあまりの悲しみに鑑み、当時のアルベルト・フェルナンデス大統領が全土で3日間の喪に服すことを宣言。また、遺体は大統領府に安置され、数十万の弔問客が別れを惜しんだ(その後、短時間しか別れの時間が確保できない状況に不満を抱き、暴徒化した群衆が警官隊と衝突するなどの混乱が発生)。

タイトルとURLをコピーしました