マリオ・ザガロ

サッカー指導者・元選手(ブラジル)。現役選手時代には、フォワード(左ウイング)として母国ブラジルの代表として活躍。1958年のFIFAワールドカップ(W杯)スウェーデン大会において、代表メンバーとして初優勝を果たした上、続く1962年のチリ大会でも優勝、連覇を達成した。

1965年に現役を引退したが、その後指導者に転身。1970年のメキシコ大会では監督として、「サッカーの神様」と崇められたペレらを擁するブラジル代表を優勝に導き、選手・監督の双方でワールドカップ制覇を経験した世界初の人物となった。以後、1994年のアメリカ大会ではアシスタントコーチとして代表チームを支えて優勝、1998年のフランス大会では、再び監督として指揮を執り、準優勝に導いた。

また、1996年のアトランタオリンピックでは、西野朗監督率いる日本代表が強豪ブラジル代表を破るという通称「マイアミの奇跡」を起こした際、相手国ブラジルの監督を務めていた。

選手時代に所属したクラブチームは、アメリカFC(アメリカ-RJ)、クルーベ・ジ・レガタス・ド・フラメンゴ(CRフラメンゴ) 、ボタフォゴFR。ブラジル代表として出場したのは37試合と決して多くはないが、その戦績は30勝3敗4引き分けと好成績となっている。

監督としては、ボタフォゴFR、フルミネンセFC、アル・ヒラル・サウジ・クラブ、CRヴァスコ・ダ・ガマなどのチームで指揮を執ったほか、ブラジル代表を始め、クウェート代表、サウジアラビア代表、UAE代表の監督も歴任した。

ブラジル南東部のリオ・デ・ジャネイロにて死去。死因は、多臓器不全であった。92歳。当初、死因などの詳細については不明であったが、その後、家族によって本人のSNS(Instagram)が更新され、多臓器不全であったことが明らかとなった。

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