平尾誠二

(ひらおせいじ)
元ラグビー選手・指導者。選手として日本代表にも選ばれた他、指導者として日本代表監督・神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャーなどを歴任。日本ラグビー界の象徴であり、「ミスター・ラグビー」と呼ばれた。そのほか、日本サッカー協会理事や文部科学省・中央教育審議会委員などの要職も務めた。

同志社大学のラグビー部に所属していた時期には史上初となる大学選手権の3連覇に貢献したほか、1982年、19歳4ヵ月という史上最年少で日本代表に初選出。1986年には、ラグビーの名門「神戸製鋼」に入社し、日本ラグビー協会主催の日本ラグビーフットボール選手権大会(通称・日本選手権)で7連覇を達成するなど、選手として一時代を築いた。

指導者としても、1997年に日本代表監督となり、「平尾ジャパン」としてアジア予選を勝ち抜いて4大会連続でのワールドカップ(W杯)出場を決めるなど、輝かしい功績を残した。

著書(共著も含む)に、「勝者のシステム」「人は誰もがリーダーである」「求心力 – 第三のリーダーシップ」「知のスピードが壁を破る」「平尾誠二名言録」「自分を変える120の言葉」「勝利のチームメイク」「気づかせて動かす – 熱情と理のマネジメント」「イメージとマネージ」「人生はひとりぼっちじゃない」「仕事ができる人の話し方」「型破りのコーチング」「生きつづける言葉 – 情と知で動かす」など、多数。

また、東京都中央区に本社を構える化粧品メーカー「株式会社柳屋本店」の「4711ポーチュガル」(ドイツ・ケルン生まれの元祖オーデコロン)のCMキャラクターにも起用された。黒柳徹子が進行を務め、長寿を誇る人気トーク番組「徹子の部屋」への出演歴もある。

京都府京都市内にある病院にて死去。死因は、胆管細胞癌であった。53歳。当初は、遺族の意向もあって死因などの詳細は公表されていなかったが、その後、1年ほど前から胆管細胞癌によって闘病生活を送っていたことが遺族より発表された。

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