小澤征爾

(おざわせいじ)
指揮者。日本が誇る国際的な指揮者として全世界にその名が知られている。長きに渡って音楽界を第一線から牽引し、特に第二次世界大戦後のクラシック界における第一人者としてその発展に貢献してきた。成城大学名誉博士。東京都名誉都民。長野県松本市名誉市民。日本芸術院会員。文化功労者新日本フィルハーモニー交響楽団桂冠名誉指揮者。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員。そのほか、ボストン交響楽団桂冠音楽監督、ウィーン国立歌劇場音楽監督、セイジ・オザワ松本フェスティバル総監督など、数々の要職も歴任した。

俳優・タレントである小澤征悦、および作家・エッセイストである小澤征良の父。俳優・エッセイストである小澤幹雄の兄。ドイツ文学者・筑波大学名誉教授である小澤俊夫の弟。また、「カローラIIにのって」「今夜はブギー・バック」などのヒット曲で知られる歌手の小沢健二は甥にあたる。

1935年、中華人民共和国の瀋陽市(旧・満洲国奉天市)に生まれ、高校時代に作曲家の山本直純や斎藤秀雄に師事。桐朋学園短期大学を卒業後に渡ったフランスでは、1959年にブザンソン国際指揮者コンクールにて日本人として初めての優勝という栄誉に輝いた。翌1960年には、カラヤン指揮者コンクールで優勝。世界的な指揮者であるヘルベルト・フォン・カラヤンやシャルル・ミュンシュにも師事した。

以後、ニューヨーク・フィルの副指揮者などを経て、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、カナダ・トロント交響楽団、サンフランシスコ交響楽団など数々の世界的な名門オーケストラと共演を重ね、1970年にはアメリカ・タングルウッド音楽祭の芸術監督に就任。1973年からは、30年近くに渡ってボストン交響楽団にて音楽監督を務めるなど、国際的に活躍した。2002年には、日本人の指揮者としては初となるウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートへの登壇も果たした。

主な受賞歴には、日本芸術院賞、モービル音楽賞、クーセヴィツキー賞、国際文化デザイン大賞、サントリー音楽賞、毎日芸術賞、NHK放送文化賞、渡邉暁雄音楽基金特別賞、小林秀雄賞、モンブラン国際文化賞、高松宮殿下記念世界文化賞、朝日賞、グラミー賞、ケネディ・センター名誉賞、長野県県民栄誉賞など、枚挙に暇がない。文化勲章、フランス・レジオンドヌール勲章オフィシエ、オーストリア科学芸術一等名誉十字章など、数々の勲章も受章している。

著書(共著・編著も含む)に、「ボクの音楽武者修行」「音楽」「やわらかな心をもつ」「同じ年に生まれて」「小澤征爾、兄弟と語る」「理想の室内オーケストラとは!」など。

東京都内にある自宅にて死去。死因は、心不全であった。88歳。晩年は体調を崩すことも多くなり、白内障・角膜炎・帯状疱疹・腰痛などに悩まされていたものの、精力的に舞台に立ち続けた。さらに2010年には食道癌を患っていることを公表し、全摘出手術を受けたものの、その後見事に復活を果たし、80歳を過ぎても活動を続けていた。

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