稲尾和久

(いなおかずひさ)
元プロ野球選手(投手)・解説者・評論家。選手時代の所属球団はパシフィック・リーグの西鉄ライオンズ。旭日小綬章受章者。

これまでの日本プロ野球界を代表する投手の1人で、「鉄腕」「神様、仏様、稲生様」など、数々の呼び名やコピーによって称えられた伝説の人物。特に、パシフィック・リーグを制した1958年の日本シリーズにおいて、巨人との戦いに3連敗したあと、4戦目より7戦目まで全ての試合に登板して勝利に貢献、日本一を逆転で獲得したことは現在においても語り草となっている。1959年には、本多猪四郎が監督を務めてその半生を描いた野球映画「鉄腕投手 稲尾物語」も製作された。

プロ通算成績は、稼働14年間で756試合に登板、276勝137敗、奪三振2,574、防御率1.98。背番号にはいくつかの数字が採用されたが、現在、西武ライオンズの永久欠番となっている「24」が最も有名。

主な獲得タイトルや受賞歴に、新人王、MVP(最高殊勲選手)2回、最多勝利(4回)、最多奪三振(3回)、最優秀防御率(5回)、ベストナイン(5回)、日本プロスポーツ大賞(功労賞)などがある。

現役引退後は、西鉄ライオンズ・太平洋クラブライオンズ・中日ドラゴンズ・ロッテオリオンズなどで監督やコーチを務めた。

メディアにもたびたび登場し、評論家や解説者として「TBSラジオエキサイトナイター」「ABCフレッシュアップナイター」「ゴールデンナイター」「侍プロ野球」といった番組に出演したのはもちろんのこと、「稲尾Q談」「今日感テレビ」「この人 稲尾和久ショー」など、トーク番組・バラエティ番組などでも活躍した。

著書に、「臥薪嘗胆の戦士たち」「鉄腕伝説」「神様、仏様、稲尾様 – 私の履歴書」「生まれ変わるピッチング 勝つための野球」「鉄腕一代」などがある。

病院にて死去。死因は、癌(悪性腫瘍)であった。70歳。手足のしびれを発症したため入院したのち、僅か2週間後に亡くなってしまったという。

タイトルとURLをコピーしました