ネイト・サーモンド

元バスケットボール選手(アメリカ)。NBA(全米プロバスケットボール協会)を代表するセンターの1人として、絶大なる人気を博した。

特に、アメリカ合衆国・カリフォルニア州サンフランシスコに本拠を構えるゴールデンステート・ウォリアーズにて、センターとして活躍したことで知られている(1963~1974年)。そのほかの所属チームは、イリノイ州シカゴ市に本拠を置くシカゴ・ブルズ(1974~1975年)、オハイオ州クリーブランド市に本拠を置くクリーブランド・キャバリアーズ(1975~1977年)がある。なお、ゴールデンステート・ウォリアーズやクリーブランド・キャバリアーズでは偉大な選手として称えられ、背番号であった「42」が永久欠番となっている。

1963年、ドラフト3位でオハイオ州にあるボウリンググリーン州立大学からゴールデンステート・ウォリアーズに入団。当時、不動のセンターだったウィルト・チェンバレン選手が1964年にフィラデルフィア・セブンティシクサーズ(76ers)へトレードされたため、その後スターティングメンバーに定着した。2m11cmの長身を活かし、攻撃・守備の双方で活躍。1974年にシカゴ・ブルズにトレードされるが、10月のアトランタ・ホークス戦にて22得点・14リバウンド・13アシスト・12ブロックショットを記録。NBAにおいて初めてのカドラプルダブル(4部門において2桁の成績に達すること)となった。オールスターゲームには通算で7回選出。NBAが歴代の偉大な選手を選出する「伝説の50人」にも名前を連ねた。

通算リバウンドは14,464、うちゴールデンステート・ウォリアーズでマークした12,771という数字は、球団の歴史上1位の記録となっている。1985年には、バスケットボールにおける偉大な選手や指導者、特別功労者などの栄誉を称える「バスケットボール殿堂」入りを果たした。

死因は、白血病であった。74歳。晩年は、同病のために闘病生活を送っていたという。

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