住友平

(すみともたいら)
元プロ野球選手(内野手)・監督・コーチ・解説者。

大阪の浪商高校(現:大阪体育大学浪商高等学校)にて3度の甲子園出場を果たし、東映フライヤーズに入団した尾崎行雄や、読売ジャイアンツ(巨人)で活躍した柴田勲らと戦っている上、3年生時の夏の大会では優勝も経験している。

その後、明治大学を経て1966年にドラフト3位で阪急ブレーブス(現:オリックス・バファローズ)に入団。主に二塁手として6回に及ぶパシフィック・リーグ制覇に貢献した。1967年には、プロ野球史上、現在でも当人1人だけの記録となっている「無補殺三重殺」(トリプルプレーを1人で完成させること)を実現している。

チームが球団として初めての日本一に輝いた1975年をもって現役を引退。プロ通算成績は、879試合出場、打率2割4分6厘、ホームラン55本、236打点、96盗塁。

引退後は、打撃コーチとして阪急ブレーブスに残り、当時の上田利治監督を支えた。その後、オリックス・ブレーブスや近鉄バファローズにて2軍監督、日本ハムファイターズにてヘッドコーチなどを歴任。2010~2015年までは、兵庫県西宮市に本拠地を置く社会人野球のクラブチーム「関メディベースボール学院」で監督やコーチを務めた。また、解説者としてもテレビ埼玉のプロ野球中継番組「TVSヒットナイター」などで活躍した。

病院にて死去。死因は、細菌性肺炎であった。80歳。

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