愛知和男

(あいちかずお)
政治家。元衆議院議員。防衛庁長官を務めたことなどで知られている。そのほか、公益財団法人日本国際フォーラム(JFIR)参与、東京農業大学客員教授、自由民主党朝鮮半島問題小委員会顧問、身上監護協会理事長などの要職も歴任した。所属政党は、自由民主党から、新生党、新進党を経て、再び自由民主党。政治家・参議院議員で、自由民主党参議院議員副会長などを務めた愛知治郎の父。政治家・衆議院議員で、内閣官房長官、外務大臣、大蔵大臣などを歴任した愛知揆一は義父にあたる。旭日大綬章受章者。

1937年、東京府(現在の東京都)生まれ。東京大学を卒業後、日本鋼管(現在のJFEエンジニアリング株式会社)への勤務、同社でのニューヨーク駐在などを経て、1972年、田中角榮内閣総理大臣(当時)が組閣した政府で大蔵大臣秘書官に就任する。その後、1976年の衆議院議員選挙に旧宮城1区より出馬、初当選を果たす。同期当選者には鳩山邦夫堀内光雄らがいた。1990年には、海部俊樹内閣総理大臣(当時)の下で環境庁長官として初入閣。1993年に自由民主党を離党し、新生党の結成に参加。非自民連立政権である細川護熙内閣で防衛庁長官に任命された。1994年には、新生党の解党に伴い新進党の結成に参加、翌1995年に同党政策審議会長に就任。しかしその後、党首であった小沢一郎への批判を強め、1997年に自由民主党に復党した。2000年の衆議院議員総選挙では民主党新人であった今野東に敗れ、比例復活も果たせず落選。国政復帰を目指して立候補した2005年の衆議院議員選挙で5年ぶりの返り咲き当選を果たし、日本と朝鮮の国交正常化を目指す議員連盟である「自民党朝鮮半島問題小委員会」の創設に参加するなどした。2009年の衆議院議員選挙にも出馬したが落選、政界からの引退を表明。

著書(編著を含む)に、「地球環境の視点に立った世直し論」「ここを変革すれば日本は必ずよくなる」「共生世界論」「各界首脳と語る」「次世代の日本へ – 野に在りて国を思う」「エコツーリズム推進法の解説」などがある。

東京都内にある病院にて死去。死因などの詳細は不明。86歳。

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